内向的人間の名もなき日々

Diary of a Quiet Soul

寄生しないと生きられない!弱い自分の生きる拠り所を自然界に探す

かつて一人暮らしをしていた時期があります。

 

でも正直に言うと、私は一人暮らしには向いていませんでした。

 

これは、そんな私の体験と、そこから見えてきた「弱さ」との向き合い方についてのお話です。


そして最後には、自然界の「寄生」という仕組みから学んだ、生き方のヒントにも触れていきたいと思います。

 

 

一人でいるのがラクなはずだった。でも…

私はコミュニケーションがあまり得意ではなく、集団の中にいるととても疲れてしまいます。

 

だから最初は、「一人暮らしって気楽でいいかも」と思っていました。

 

でも実際に始めてみると、誰とも話さない日々が続き、気づけば心がどんどん沈んでいったんです。

 

たいていの人なら、一人暮らしをしていても、自分から友人や知人とコミュニケーションをとって、精神的なバランスを保てるのかもしれません。

 

でも内向的な私は、誰とも話す機会が本当にゼロに近くなり、精神的な落ち込みが激しくなっていきました。

 

超ネガティブ思考の私は、日常のあらゆる出来事を悪い方向に考えてしまいがちです。

 

一人でいると、ポジティブな方向に自分を修正することができず、どんどん奈落の底へと落ちていってしまう。

 

誰の声も届かない静かな部屋は、安らぎではなく、底の見えない沼のようでした。

 

暗い一人暮らし

 

 

「コミュニケーションは苦手。でも誰かといたい」矛盾する気持ち

一人暮らしをしていない今は、家族との何気ない会話――「おはよう」や「大丈夫?」といった一言に、何度も助けられています。

 

当たり前に思えることでも、実は生きていく上でとても大切なことなんだと、日々実感しています。

 

私は、コミュニケーションが苦手で一人を好む反面、誰かと一緒に生活していないと生きていけない。そんなアンビバレント(相反)な性質を持った人間です。

 

たぶん他人から見たら、かなりめんどくさいタイプだと思います。

 

 

「誰かと一緒じゃないと生きられない」ことは、そんなに弱いこと?

「誰かと一緒にいないと生きられない」、そんな自分の弱さに落ち込むこともあります。

 

でも最近ふと思ったんです。
「寄生して生きている生き物って、自然界にもたくさんいるのでは?」と。

 

 

動物の世界にも「寄生で成り立つ命」がある

自然界をよく観察してみると、「寄生」という関係は思った以上に身近にあって、特別なものではありません。

 

地球上の生き物の半数近くは「寄生生物」である、とも言われています。


しかもそれは、ただ一方が一方を利用しているだけの冷たい関係ではなく、「助け合い」とも呼べるような、美しいバランスの上に成り立っていることもあります。

 

コバンザメとサメの関係

たとえば、コバンザメ。彼らはサメやウミガメの体にくっついて移動します。


一見すると「ただ便乗してるだけ」のように見えますが、サメの体についた寄生虫や食べ残しを食べてくれるので、実はサメ側にもメリットがあるんです。

 

このように、単なる「居候」ではなく、「ちょっと迷惑だけど、ちょっとありがたい」存在として成り立っているのが面白いところ。

 

コバンザメとサメ

 

 

ハゼとテッポウエビの相利共生

次に、海の中にいるハゼとテッポウエビ


ハゼは巣を掘るのが苦手だけど、外敵が来たときにすばやく反応できる高い視力を持っています。


一方、テッポウエビはトンネルを掘るのが得意だけど、目がとても悪くて敵に気づけない。

 

この2匹は、同じ巣穴で一緒に暮らし、ハゼは見張り役、テッポウエビは住処づくりを担当します。

 

お互いに自分の「できないこと」を相手に補ってもらいながら生きている、まさに共依存のパートナーです。

 

ハゼとテッポウエビ

 

 

ミトコンドリア:細胞の中に住み着いた「最初の寄生者」

もっと壮大な話をすると、私たちの細胞の中にあるミトコンドリアも、もともとは他の細胞に「寄生」した細菌だったと言われています(共生説)。


数十億年前、原始的な細胞の中に入り込んだ細菌が、そのまま居つき、エネルギー生産を担当することで宿主にとっても都合のいい存在になりました。

 

今では、ミトコンドリアがないと私たちはエネルギーを作れず、生きていけません。

 

つまり、かつての「寄生」は進化の過程で「必要不可欠な存在」になったというわけです。

 

ミトコンドリア



寄生=ズルい、ではなく、生きるための工夫

「寄生」と聞くと、ズルをしてるとか、弱い者が強い者にしがみついてる…そんなイメージを持つかもしれません。

 

でも実際には、それは生き抜くための知恵でもあるんです。

 

強くないからこそ、誰かに頼って、周りの力を借りてでも、命をつなごうとする、それは決して恥ずかしいことではなく、むしろしなやかで、たくましい生き方だと思います。

 

そもそも「完全に独立して生きる」なんて、幻想かもしれません。

 

自然界の多くの命が、誰かに支えられながら共に生きているのだから。

 

 

弱くても、誰かと生きていければそれでいい

一見、役に立っていないように見える存在でも、一緒にいることで知らないうちに相手の助けになっていることもあります。

 

何かをしようと意図せずとも、自然体でいる中で、結果的に相手に良い影響を与えることもある。

 

自然界にそんな命のかたちがあるように、人間だって、誰かにちょっと寄りかかってでも、今日を生きられればそれでいい。

 

そう思えるようになったとき、「寄生してでも生きる価値がある」と、弱い自分にも少しずつ自信が持てるようになった気がします。